KazaLogue "写真のかざろぐ"

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写真雑誌『世界を変えた50枚の写真』in PLAYBOY


『PLAYBOY 第401号(2008年6月1日発行)』
特集"完全保存版・世界を変えた50枚の写真"

―――コンテンツ―――
・「写真は世界を変えられるか?」by飯沢耕太郎
・「人間の生死と、映像のリアリティ」by藤原新也
・「インタビュー」by森山大道
・「マジックモーメンツ」byエリオット・アーウィット
・「不朽の写真集ガイド」by飯沢耕太郎
―――――――――――

PLAYBOYは、意外にもシリアスな特集をたびたび組んでいる。
特集は時事的なものや趣味的なものが多く、
その内容を真面目に考えて、分かりやすく説明している。

しかしながら、真面目に成り切れないのがPLAYBOY。
時事問題のことなどを考えてると、ピンク色のページに邪魔される。

今回は女性のヌードに隣り合わせたページで、
森達也さんが自著『死刑』について
「日本人というのは不安に弱い人たちなんじゃないか、
という答えが見えた気がしたんです。」
と見出しをつけて真剣な表情をしている。

しかし大方の読者は、プレイメイトの女性が気になり、
"日本人の不安への弱さ"について考えるどころか、
その隣で露わにされた豊満な胸に目がいき、集中などできない。

もちろん葛藤するのは、この見開きに限ったことではない。
「人類史上最高にモテた男の物語」の隣では、
「国家を国家たらしめるには何が必要か」が語られてるし、
「巨大なベッドとバスタブのある部屋で行われる派手なパーティー」
について書かれてるページの隣では、
「蘇るヒロシマの愛と生」という被爆者の記憶が特集されている。

はっきり言ってこんな破天荒な組み合わせの雑誌は他にない。
一体どういう読者層がターゲットなのか全く読めない。
この情報から分かる事と言えばたった1つ、
「真面目な奴は、エロい。」ということくらいだ。

さて、今やなき月刊プレイボーイ日本版。
魅惑的な雑誌だっただけに廃刊が悔やまれる。
個人的な永久保存版、2008年の6月号を紹介したい。

しばしば組まれる写真特集号の中でも、
インタビューなどを交えた充実した内容だ。
さすがに「世界を変えた写真」を、
50枚にわたり話すスペースもないので
わずかにこの1枚だけ取り上げることにしたい。



「ハゲワシと少女」by ケヴィン・カーター
in SUDAN, 1993. Kevin Carter

友人に「ハゲワシと少女の写真を知ってるか」と尋ねたら、
「知ってる」と力強い返事がかえってきた。
写真の仕事をしていない者でも知っている1枚だ。

1993年、スーダンの内戦中に撮影された写真で
この1枚により撮影者のケヴィン・カーターは、
世界最高の報道写真賞"ピュリッツァー賞"を受賞した。
そして受賞後に、ケヴィン・カーターは自殺した。

驚くべきことに、自殺の理由は、
「少女の餓死を見て絶望した」からではなく、
この写真を見た世論から、「子供をどうして助けなかったんだ」
と、批判されたからだった。

この1枚、「ハゲワシと少女」が世界に投げかけたメッセージは、
ケヴィンの予期した「アフリカの貧困」についてではなく、
期せずして「カメラマンは記録者か当事者か」という、
極めて倫理的な問題にすり替えられてしまった。

例えば、想像してみると理解しやすい。
あなたは通信社に勤める報道カメラマンで、
世界的に有名なピュリッツァー賞を狙っている。
そこで、「スーダン内戦の悲愴」を写してこいと
またとない出世のチャンスが巡ってきた。

現地で思うような絵が撮れなかったが、
最終日に、餓死寸前の少女と、それを見るハゲワシを目にした。
「スーダン内戦の悲愴」を伝えるのに象徴的なイメージが浮かんだ。

その時、あなたは迷わずシャッターを押すのか、
あるいは迷わず少女にパンと水を差し出すのか。

「迷うなあ。」
私の友人は、この問いかけに、まずそう答えた。
おそらく最も多く、最も人間的で、そして最も駄目な答えだ。

迷ったならシャッターチャンスは逃すし、少女は死ぬだろう。

目の前の助けられるかもしれない命の犠牲を撮影することで、
その1枚に心を動かされた数万の人々が多額の募金をする、
その結果、数千人の餓死者が救われる。
果たしてそれは正義なのだろうか。

少なくとも私がケヴィン・カーターだったら、
この時に迷わずシャッターを押す。

もし、ケヴィン・カーターを批判する人は、
自分が戦争や飢餓とは関係のない、
全く安全な場所で、ごく普通に生活をしていて、
強いて言えば、餓えに苦しみハゲワシに捕食される少女の事も、
自殺したカメラマンのケヴィン・カーターの事さえも、
どこか他人事として見ている事実を自覚するべきなのかもしれない。


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写真展"THE CATS" by 宮本直孝


新創記念特別展第7部
"いのりのかたち"-八十一尊曼荼羅と仏教美術の名品-
期間:2010年7月10日〜8月8日
場所:根津美術館(表参道駅より徒歩8分)

青山にある根津美術館に行ってきた。
先月で国宝のカキツバタ図屏風の展示は終わってしまったが、
今回の目当ては改装された建物それ自体だったから構わない。

リニューアルの設計を担当したのは隈健吾さん。
家からほど近い環状線沿いにある
奇抜な建物と同じ設計者とは思えない落ち着いた佇まい。

表参道から徒歩数分という現実を忘れるような別空間へ、
以前は無かった笹の回廊に吸い込まれて入館した。
展示内容が仏教美術だったこともあるのか
館内を見るほど俗世間とつかの間に離れていく気がした。

今回の展示は国宝こそ出ていないものの
「金剛界八十一尊曼荼羅」や平安時代の不動明王像など
重要文化財に指定されている貴重な美術を観ることが出来る。

観覧を終え庭に出ると「スズメバチに注意」という
都内では見たことのない立て札に期待が募る。
その庭園はスズメバチも間違えるほどに都会離れしているのだ。

以前より奥のほうまで開放されたらしく隅々まで回った。
船着きの川にはザリガニがいる、
水面を彩る柔らかい木漏れ日が美しい。
奥の社で手を合わせる、見上げた空、雲間に覗く太陽に感謝の一礼。

写真展"THE CATS" by 宮本直孝
期間:2010年
場所:青山スパイラルガーデン内
住所:東京都港区南青山5ー6ー23

根津美術館の帰りに青山スパイラルガーデンに寄ってみた。
モダンな雑貨は見ているだけで楽しいが、
あいにくセールはしていない。

二階にあがると壁一面に猫の写真が貼られていた。
全てスタジオで撮影されており
角度こそ違うものの同一ライティングで撮り回している。

可愛いかと言われれば、そうでもない。
意図的にライトにカラーフィルターをかけ、
猫たちに青や緑の色を被らしている。

かといってアイデアや撮影方法が素晴らしいか
と言われれば、これまたそうでもない。
プリントは短辺でも1メーター以上あり迫力があるものの、
所狭しと並べた36枚が面白いような…、複雑だ。

会場を後にしてから調べてみたら、
被写体に選ばれた36匹の猫は、
"日本の純血種、全36種"という事だった。

生活感のないスタジオ撮影のせいか
全種類と言われても図鑑に見えてきてしまう。
このまま屋外で撮れば猫動物園に見えてしまうだろうし、
やはり猫を撮るのは、つくづく難しい。

ちなみに、撮影者の宮本直孝さんのことは存じ上げなかったが
コマーシャルや広告、ファッションで活躍されてるらしい。


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写真展"マン・レイ展" 〜知られざる創作の秘密〜


写真展"マン・レイ展〜知られざる創作の秘密"
by MAN RAY(本名:エマニュエル・ラドニツキー)
期間:2010年7月14日〜9月13日(10時〜18時)
場所:国立新美術館

『unconcerrened but not indifferent』

マン・レイの墓石に刻まれた言葉だ。
これは作品のタイトルにも使われており
おそらくマン・レイが好んでいたフレーズである。

「無関心、しかし無頓着でなく」
(関心は持たない、しかしこだわらない訳ではない。)

そう日本語訳が付けられていた。
直訳ぎみにするなら、「差別をするのではなく、関心を持たない」
というのが正しい気がするが、
先のが異訳かというと、むしろ意訳のようで正しい気もする。

などと考えながら展示を見ていたら、
第3部の看板が「無頓着、しかし無関心でなく」と
全く逆になっていたのを見つけてしまった。
これはさすがに間違いなので学芸員の方に指摘しておいた。

さて、今回の展示は、マン・レイの過ごした場所ごとに分けられ、
NY、パリ、LA、またパリという4部構成になっている。
入り口を抜けてまず出迎えてくれるのが第1部ニューヨークだ。

始めの作品は写真ではなくペインティング。
「マン」と題名が付けられた割れたハートのモティーフだ。
更に続くのが飾り文字、ドローイング、リトグラフ、エッチング。
その後にやっと写真のコーナーになった。

「私は、自分の作品を記録するために、写真を始めた。」

今でこそ写真家として名高いマン・レイだが、
とりわけ初期は写真作品が少なく、
そもそもそれを芸術とは考えていなかった事が伺える。

1913年の「青いパンの付いた冊子」から始まり
1920年の「裸婦とコート掛け」でニューヨークを去り
生活と芸術活動の拠点をパリへと移した。

「私は、生活費を捻出するために、
仕方なく広告写真家として活動した。」

当時、肖像写真の技術が高く評価されたマン・レイは、
ハーパースバザーやヴォーグ、ヴァニティーフェアなど
フランスの有名誌を何度となく自らが撮影した写真で飾った。

その時代に写されたジャン・コクトーやヘミングウェイ、
ハンス・ベルメールやジャコメッティの肖像写真は
マン・レイらしい作風で見ているだけでも楽しめるが…。

「絵画で成功しなかったから、写真で食べていくしかなかった。
私はこの頃、写真を憎んでさえいた。
(既にコマーシャルカメラマンとして認められてしまった)
私は写真家ではないし、その時点で写真は芸術ではない。」

まさかここまでマン・レイが"写真"に対して
ネガティブな姿勢を持ち続けていたというのには驚いた。
私は写真家ではない、と公言している所に、
芸術家でなければならないという執念が感じられた。

そこでマン・レイは芸術家として認められるために大胆な行動にでる。
シャガールやゴンチャローワなどの画家や、
ブラッサイやケルテス、ホルストといった写真家など、
様々なアーティスト達の集まるモンパルナスで
羨望の的であったキキ・ド・モンパルナスを撮影することで
パリでの自分の存在感を示すことにした。

そしてキキ・ド・モンパルナスとの出会いから5年後、
あの名作「白と黒」が生まれたのだ。

「私はやっと絵の具という厄介な道具から自由になりました。」

絵画で芸術家としての成功を得られず、
「マン・レイ(=光の男)」と名前を変えた。
光の男の苦難は、パリの街を照らす月明かりの孤独を思わせる。
奇しくも忌み嫌っていた写真をして
芸術家の称号を得た彼の気持ちは察するに複雑だ。

その後も写真作品の制作に打ち込み、
密着印画でのネガ反転やレイヨグラフ、ソラリゼーションなど
現在でも確立されている写真の手法を生み出していった。

この時期のパリの作品で面白かったのは、
マン・レイ自身のセルフポートレート。
反射原稿の複写やメタルボールの中に写したりなど
数点だがマン・レイらしい実験的魅力のある作品があった。

そして、第二次世界大戦の開戦を機にアメリカへ亡命。
後に、ロサンゼルスで出会ったジュリエット・グレコと結婚し、
スタジオ"マン・レイ"をカリフォルニアに開業した。

「チェス盤には、駒に触れる人間の人格すべてが現れ出る。哲学も情緒も教養も品性も自我も欲望も記憶も未来も、すべてだ。隠し立てはできない。チェスは、人間とは何かを暗示する鏡なんだ。」

これはチェスの神様、アレクサンドル・アリョーヒンの言葉だが
この時期のマン・レイはチェスにも没頭しており
チェス盤と駒をデザイン・販売していたらしく
そのセットが展示され、モダンで流線的な美しさは必見。
また、アレクサンドル・アリョーヒンの
肖像写真も展示されており、合わせて見てみると楽しめる。

「ここカリフォルニアは、私にとっては、美しい牢獄だ。」

有名人などの"肖像写真家"として話題を呼ぶも、
"芸術写真家"としてのマン・レイは、LAでは認められず、
パリでやっとのことで得た芸術家の栄光とは、
程遠い厳しい現実が待っていたのだ。

絶えきれず1951年、マン・レイはパリへと戻った。
最後のパリではカラーポジフィルムを
独自の色彩定着技法で印画するなど研究的に過ごし
歌手のイヴ・モンタンなど著名人のポートレート撮影も続けた。

パリには、妻ジュリエット・グレコも同伴、
南フランスへの2人旅など愛のある暮らしだった。
そして1976年、マン・レイは、86歳の生涯を終えた。

さて、今写真展は、フォトエスパーニャ10周年記念として、
2007年にマドリードで開催されたもの。
欧州を7カ所巡回した大回顧展に、
新たに70点の写真、リトグラフやエッチング作品
他にもムービー3作品やチェスなどの立体作品も追加された。

映像作品については、アートにしたいのか
喜劇にしたいのかよくわからなかったが
連続性を好んだマン・レイらしい手法が見てとれる。

また会場の出口には、篠山紀信さんが
カリフォルニアの「スタジオ"マン・レイ"」を
2日間に渡り撮影したという
特設コーナーも設けられており、当時の様子が伺えた。



なお、もしエコール・ド・パリに、
それも特にモンパルナスのアーティストに興味があるなら
いま上野で開催中のシャガール展に行ってみると、
当時の画家や写真家の交流を垣間見ることが出来て面白いと思う。

――展覧会詳細――
シャガール展
〜ロシア・アヴァンギャルドとの出会い・交錯する夢と前衛〜
byマルク・シャガール、カンディンスキー、ゴンチャローワ他
期間:2010年7月3日〜10月11日
場所:東京藝術大学大学美術館
住所:東京都台東区上野公園12ー8



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写真集『Photographs』by Patrick Demarchelier


Nude. St. Barthelemy,
West Indies, 1989.

素晴らしい1枚を見つけると額に入れて飾りたくなる。
もちろんオリジナルプリントを飾りたいのは山々だが、
金銭的になかなかすぐに飾ろうという話にはならない。

だからその1枚が掲載されている写真集を探す。
展示会で観たPatrick Demarchelierという名前と
鮮烈に残された頭の中のイメージを頼りに写真集を漁った。

今回のようにあっさりと目的のものが見つかることはむしろ少ない。
イメージの1枚が表紙に使われていることは稀だからだ。
となるとインターネットだと中面が見えないから、
書店で目的の1枚が掲載されているかを確認する必要がある。

しかし、"Patrick Demarchelier"という著者名について尋ねる客は
年にそう何人もいる訳もなく大抵のところ、
「店頭になければあいにく…」と突き放されるのがオチだ。

Photography was the first virtual reality, a visionary slice of real life. The peak of perfection. A person's beauty recorded at the most beautiful 1/100 second in his entire life. A strong photograp is a repository of endless possibility.

写真は、現実世界を一瞬だけ切り取る、初めてのバーチャルリアリティだった。つまり"完璧の絶頂"である。その人の美しさが、その全人生の中で最も美しい100分の1秒を記録するということ。そして、力のある写真というのは、永遠の可能性を秘めたものであるのだ。

パトリック・デマルシェリエの写真は、
序文の中で、そう讃えられていた。

写された者の最も美しい瞬間を記録している、という賛辞は、
写真集でよく耳にする言葉だが、
それを本当に実行していると唸らせる作品はそう多くはない。

パトリック・デマルシェリエの写真には、
ユーサフ・カーシュのような完璧さがあり、
アヴェドンのような美しいポージングと瞬間芸術、
ヘルムート・ニュートンのような艶やかなプレイ、
E・アーウィットのようなウィットの効いた決定的瞬間があり、
更には、彼らとはまた違う魅力が秘められている。

スーパーモデルや友人、時には写真家など違う面々を撮影し、
その肖像写真やコマーシャルフォート、スナップがあり
それでいて写真集には統一感が流れている。
これは、大変なことだ。

日本では大掛かりなコマーシャルやグラビアの間に
ジョークめいたスナップが織り込まれるような事は殆どない。
なぜなら、普通に上手なコマーシャルを撮って並べたほうが、
技術的にも精神的にも簡単だからだ。

仕事というリスクと、クライアントの細かい要望の板挟みの中で
たった1枚の御洒落が致命傷になる可能性もある。

これが、パリやニューヨークでは
ファッション写真がアートと認められているが、
日本ではファッション写真はファッション写真と見切られている
根本的な原因に思えて仕方がない。

一歩間違えればデマルシェリエの写真集も
無作為に写真を集めたならファッションカタログに成りかねない。
しかしそう成り下がらずにアートとして成立しているのは、
見とれるほどに完璧な美しさと、
デマルシェリエのセンスの効いたオフの写真が
一本の綱の上で見事に共存しているからなのだろう。


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写真集『Crimean Snobbism』by Boris Mikhailov


今日は清里フォトアートミュージアムの主催する
ヤングポートフォリオ展の審査に付き添ってきた。
今年でもう15年目を数えるそうで
恒例行事とばかりに手際よくスタッフの方々が迎えてくれた。

「50年後に見ても良いと思える写真を選びましょう。」
K.MOPAの館長細江英公さんが挨拶代わりの号令をかける。
審査員の広河隆一さん、三好和義さんはじめ
スタッフ全員が立ち上がりコンテストの審査が始まった。

会場は江東区某所2階の会議室。
ロの字型に配されたオフィス机に写真が並べられている。
去年まではそれをロの外側から作品を見て行ったらしいが、
今年から内側から見て行くようにしたらしい。

内回りにすると歩行距離がだいぶ少なくなるとか。
全作品を審査するのに30周近く周回するようで、
そこまでくると確かに内回りと外回りの負担の差が重要だろう。

さて、個人的な、あくまでも全く個人的な審査基準を書いておく。
自分が来年なりに同コンテストに応募する際に、
少しでもアドバイスになれば、という独断専行の箇条だ。

◆できるだけ継続的に応募すること。
◆カラーと白黒は組にしたとき混ぜないこと。
◆サイズはフリーだが大四程度を目安にすること。
◆枚数はフリーだがサイズと反比例に増減させること。
◆笑いを取りに行くよりはシリアスに行くこと。
◆フィルムとデジタルは関係ないが、銀塩の良さは知ること。
◆PPは必ず良質なものを使い台紙は入れないこと。
◆戦争はいいが血なまぐさいグロテスクは避けること。
◆毎年審査員が違うから流行があること。
◆統一感がありすぎるものは控えること。
◆単か組か迷ったら単写真で応募すること。
◆募集期間のなるべく前半に送ること。
◆マット紙や和紙は避けること。
◆白色度が高すぎる光沢紙も避けること。
◆温黒調や冷黒調、特にセピアはやらないこと。

本日の一次審査を思い出して列挙してみたが
意外にこれだけでも自分としては方向性が見えた気がする。
特にセピア調はやらない、というのは強調したものの、
一次審査通過作品にセピア調の物もあったので
なんとも役に立たないアドバイスという噂もある。

考えてみるとセピア調も極めて独特の調子があり、
郷愁や晩秋、恋慕や哀歌などの表現に
これほど適したものは他にはない。

ウージェーヌ・アジェに代表される
鶏卵紙という黄色がかったセピアもいいが、
セピアと言えばこの本のような色合いが最もイメージに近い。

写真集『Crimean Snobbism』
by Boris Mikhailov(ボリス・ミハイロフ)

1938年、ウクライナ生まれで現在はベルリンに在住している。
写真を始めたのは28歳と遅く、
当時は旧ソ連時代で自由な芸術活動は禁じられていた。

その頃にタブー視されていた女性のヌード写真を撮影、
そのことで職場を追われるが、独学で写真を身に付けていった。
極めて私的な情景を写しながら
同時にそれは旧ソ連体制を風刺する社会的な作品であった。

政情が完全に沈静化された90年以降は
世界各国の美術館で展示を行い、
2007年には日本のギャラリー RAT HOLEでも個展を開催している。

本書『Crimean Snobism』に収められた写真は、
見事なセピアに褪色し、ムラやシミも見られる。
印画した当時は黒色だっただろうと、
その経年を思わせるこの風合いがたまらない。

ところで、コンテストに送られてくる組写真には、
このボリス・ミハイロフのようなセピア調が少なくない。
しかし、それはあくまでもセピア風というだけで、
本来的なセピアの魅力とは違うものがほとんど。

セピアはイカ墨から作るインクの種類で、
定着が悪く、にじみ、色褪せなど劣化が激しいため
もともとは読み捨てる新聞などのインクに使われていた。

例えば昔発売されていたコニカミノルタのフィルム
"セピア400"などを使い印画紙に手焼きをするなど、
過去の技術が失われた現代でも
できる限りの手間をかけてやることが
結果的には目をひく作品を生んだりするのかもしれない。


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